引力からの脱出速度

自営業で失敗した洋食屋のせがれの独立志向

EUのブラック企業の実態と今そこにある危機

 

国際問題化するブラック企業〜今後日本で解消どころか、ますます広がると“確信”する理由(1/2) | ビジネスジャーナル

 

・・・最近日本でよく耳にする労務管理の問題、いわゆるブラック企業についてですが、私個人の見解としては、「経営の人格」の反映としか捉えていず、単純化し過ぎていたようです。経営者の顔が表に出てくるかどうかはさておき、ある企業の「ブラックさ」というのは「『人』に関する興味の無さ」や「短期的視野」といった属人的な要因が支配的であると考えていたからです。

 

 これまでは不勉強ながら経営の困難さという事に理解をしつつも思っていたのですよ、「他にも方法はあったはず」と。

 

 ところがEUでの取材をベースにしたこの記事を読んで、ブラック企業の経営が如何に高度で戦略的なものかということを知って戦慄しました。さらには今の経済構造の中で生き残ることを命題とした企業体の、知的な経営によって練られた施策でさえあるということが言われているのです。ガテン系のオラオラ社長がやっていることではない!と。しかもそれは、国際経済の「低価格化」に同調する構造的な現象であると分析されています。

 

 おいおい、このままじゃ賃金労働者の環境は産業革命時代に逆行しちゃうよ!!

 

 

 

 ・・・そろそろ行き過ぎた資本主義に変わるイデオロギーを、市民たる我々が持つべきタイミングに来ているのではないか?最近そんなことをよく考えます。

 

 マイケル・サンデル教授(『これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学 』)や映画監督のマイケル・ムーア氏(『キャピタリズム』)はそれを「新しい、本当の意味での民主主義」としています。

 

 卑近な例で言えば、日本のファーストフード店やコンビニで100円のドリップコーヒーが飲める昨今、果たして我々消費者はその安価な価格設定が強いる環境負荷や収奪型労働にどこまで思いを巡らせるだろうか?経済的な効率や消費者の利潤だけがこの世の正義だろうか?では、政府や企業はそこに適切な介入を果たせるだろうか?という問いに答える準備が必要な時代だと思うのです。

 

 今さら大きな政府は欲しくないし、事業分野の外にとって付けたように添えられる企業のCSR活動にも頼れそうにありません。

 

 なぜなら、現行のシステムからすれば、残念ながら政府は我々市民以上に長期的な課題(それは殆ど潜在的である)に反応する事が不得意であるということと、企業というものは世の中に存在する組織体の中でも最も自己中心的で功利主義であるという前提があるからです。(余談ですが、法学教授ジョエル・ベイカンは著作ザ・コーポレーション』で、法律の下に「人」として存在する企業が、精神分析上“サイコパス人格障害)的”である事を訴えていました。)

 

 

 私自身は、非常に肯定的なITの使い方、集合知による民主主義、情報の非対称性の逆転劇がその解になるのではと期待しています。

 企業が戦々恐々としながら口コミサイトにお伺いを立てている現実が私を大いに勇気付けるのです。

 

 

 消費者の望む低価格化と、それに伴う企業間の競争・・・すなわち資本主義におけるまっとうな市場の働き=アダム・スミスの唱えた「見えざる手」、が唱えられ300年弱経った今、その「手」が果たして頼るべき機能を備えていると見てよいかというのはマクロ経済学も未だに論争しているところです。長期的な経済安定性からすればそれは有用だろうけども、短期的な視点を絡めると反対意見が現れ喧々諤々の様相です。

 

 学者の議論は議論として、我々が収入を得て生活を営んでいくということと、購買という意思決定の中で、短期的だとしても安定的な雇用と賃金ー大げさなことではなく、一つの家庭を築いて子供を育てるだけの間の糧ーを得るための自衛策というのは、意外に身近な事柄であるという事を訴えたいのです。

 

 使い捨てを当たり前に、安価な服飾品を買い続ければ、そんな製品を製造する労働力に技術と富の歩留まりは未来永劫無いでしょう。

 

 

 あなたはこれから何本のビニール傘や何足のビーチサンダルを買うつもりですか?

 

 それ、安いかもしれませんけど、回りまわって、確実にあなたの給与水準を引き下げてますよ。

 

 この記事を読めば、その関係性に思い至ると思われます。

 

ザ・コーポレーション [DVD]

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ザ・コーポレーション

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これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

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それをお金で買いますか――市場主義の限界

それをお金で買いますか――市場主義の限界

 

管理マネジメントの限界

 現代の組織のほとんどは、1900年代初期に描き上げられて以来、大して修正されていない基本設計図に基づいて構築されている。この工業化時代のパラダイムは、いわば「予測と管理」という原則に則って運営されている。つまり、事前計画を立て、一極集中型の管理方法を用い、軌道を外れないように気を配りながら、安定性と成功を手に入れようとするものだ。予測と管理のアプローチは、生身の人間が実際に関知した現実の歪みに基づいて、組織のデザインを絶え間なく進化させるのでは無い。むしろ、歪みの発生そのものを防止するために事前に「完璧な」システムをデザインすることに重点を置いている(完璧なはずのシステムに、組織のトップの人たちが「これじゃいかん」と気づいた場合には、組織改編が行われる)。
『HOLACRACY(ホラクラシー)』 ブライアン・J・ロバートソン


 経営幹部達が様々な制約のもとに下した選択や意思決定は、矛盾だらけで、実行性に乏しい事がままある。経営環境の変化は速く激しく、意思決定において配慮しなければならないステークスホルダーが増えるばかりの昨今、それは致し方ないことであろう。

 だからこそ、年度始めにマネジャーを勢揃いさせてポエムな目標をぶち上げたり、パワーポイントでその場しのぎの部門方針を作ったりしているだけでは現場の方向性は定まらない。そもそも経営幹部自身がそのセレモニーの翌日から予測しない課題に直面して、自ら打ち立てた方針から外れた仕事に追われることになるからだ。ビジネスが予測可能性を前提とできない時代になってきていることは明白だ。もっと現場に近いマネジャー達でも、なかなか成果が上げられないチームの生産性の低さを嘆きながら、自分達の出す指示よりも早くビジネス状況が変化するせいで指示そのものが陳腐化していることに無自覚であることが多い。


 であるならば、ここで「管理」を手放してはどうだろうか?
 上司の仕事は管理ではなく、Performance Capability(目標達成能力、ここでは業務遂行能力)の最大化であるべきだ。

 上司が部下を「管理」している限り、社員は「より変化の少ない定型的な業務」に勤しむことで会社への貢献をアピールせざるを得なくなる。つまり彼らは予測可能な、アウトプットしやすい仕事を好んで選択するようになる。「管理」している上司の「予測」の範囲から外れることはマイナス評価につながるからだ。

 その仕事には経営幹部のビジョンなど1mmも介在される余地はない。
 ましてやイノベーションなど期待できるはずもない。

 経営方針を理解し主体的かつ創造的に働く社員というのは近視眼的「管理」のもとには存在し得ない、という一見当たり前のこの道理を分らず、もしくは分っていながら無視する組織は徐々に上司と部下の間に溝ができてくる。上司が職務、つまり部下の管理に邁進すればするほどに、部下のパフォーマンスは落ちていくからである。

組織を不幸にするマネジャーのプレイ(実務介入)

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 末尾に引用したこの一説には、有能なプレイヤーが有能なマネジャーになるわけではないという額面通りの指摘のほかに、以下に挙げる3つの潜在的な問題を示唆している。


①マネジャーや時にはリーダーが、昔取った杵柄と言わんばかりに現場に介入するとき、それは業務を円滑に遂行するためのサポートではなく、部下に対する示威行為であることが多い。マネジメントという仕事を明文化できていない組織では、本来のマネジメント機能に対しての期待値が低く、そのポジションに置かれた人間にとってはパフォーマンスを発揮する機会が少ないと感じられる。つまり、マネジャーが本来業務のマネジメントで成果を出したり部下の尊敬を得るという面でフラストレーションを覚えがちな組織になっているということだ。

②従い、マネジャーがPDCAを回すためのKPIが設定すらされていないことが多いため、現場を追いかけ回すことでしか生産性を上げる術を知らないマネジャー達は徐々に起きている地滑り・・・それはマーケットの変化であったり、知的生産技術の変化であったり、組織のモチベーションの低下であったりするが、それに気付かないまま組織をラットレースに巻き込んでしまう。

③最後はとても不幸な事実であるが、業務上での過剰な干渉を行うマネジャーは往々にして人格形成に問題があり、いくら外交的で闊達のように見える人間でも、本当の意味での人間関係を築くことが苦手な人間が多い。つまり、コミュニケーションチャネルが限られているために、他人の承認を得たり、フィードバックを得るために、業務上の管理や命令、時には叱責や抑圧で代償していることがある。

 

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『リーダーが自分は有能であり、どの部下よりもはるかにうまく仕事ができると信じ、何でも介入してしまうと、かえって事業不信を招き、最終的には自分のキャリアに悪影響を与えてしまう。実際、そのようなケースが少なくない。なんとも皮肉なことである。』

Chapter9 自分を成長させ続ける「7つの質問」 ロバート・S・キャプラン
『自分を成長させる極意』ハーバード・ビジネス・レビューベスト10

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『ケインズの逆襲、ハイエクの慧眼』松尾匡

訳あって敢えて止めていた読書再開です。
どういういきさつで購入したのか忘れましたが、政局・経済情勢を見るとなかなかタイムリーな内容なので積ん読からこれを選びました。

経済学における大きな二つの流派が現在はどのようなスタンスを取って政治につながっているか、そしてそのどちらもが経済の変遷の本質を見誤ったことで間違ったポジショニングを取っている事を分析した内容です。

私は経済には全く疎いですが、これは面白かった!

著者の主張は、「リスク、決定、責任は同じとろこにないと、無責任かつ恣意的な自己拡張の歯止めが効かない」というもので、序盤に「そごう問題」が例に引かれていますが、経営やリーダーシップに関する深い洞察があります。

また、政府の役割を「人々の予想を確定させるルールキーパー」であるべきと説き、裁量的なマネジメントへの介入は細かなニーズを無視する事になるので後方支援に徹し、民間及び個人の意思決定が「望ましい方向への均衡する」よう振る舞うべきだというところは、そのまま企業運営に活かされる内容で、私が影響を受けたスティーブン・R・コヴィー氏の「リーダーシップとマネジメントの分離」にもつながる主張なので納得性が高かったです。

個人的に特に興味深かったのは、失われた10年と呼ばれた不況と、戦後の終身雇用・年功序列・企業特殊技能優先のキャリアパスについてゲーム理論ナッシュ均衡を使って分析をするところ。

不況については、ポール・グルーグマンの言う「割に合わない円高がまねいたもの」と藻谷 浩介氏の言う「人口減少が招いた定常的経済成長ステージ」というのが私の主な理解だったのですが、著者はそれを「人災」だと断じています。

また、日本の労使構造については『痛快!経済学 2』で中谷巌氏が説明してた政府主導の政策的な性格が強いと理解していましたが、労使が「同じ手」を使うならば複数ある「ナッシュ均衡」の一つとしてごく自然な状態であるというのは目から鱗でした。

ただ、企業競争や企業そのものがグローバル化していく過程でゲームのルールが変っていっているので、汎用技能の担い手としてしかホワイトカラーを雇えなくなってきている日本という指摘は身につまされます。

 

最後に、マネタリストの尖兵として、「日本を実験台にしやがって!」と誤解していたポール・クルーグマンさん、ごめんなさい。

 

#読書メモ #本

 

なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?--数千年に一度の経済と歴史の話

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里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)

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痛快!経済学 (2)

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「宰相のインテリジェンス: 9・11から3・11へ」手嶋龍一

前髪の髪型がいつも気になる手嶋氏の本を初めて読んでみた。

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きっかけは日本企業によく見られる「結果が出ないなら、もっと頑張れ」という思考法への問題意識で、もともとは日本軍の意思決定について興味があった。

大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇」「 失敗の本質―日本軍の組織論的研究」 「情報と国家―収集・分析・評価の落とし穴」までをAmazonでクリックしたところで、「読みたいリスト」からこの本のタイトルを見つけた。

 

宰相のインテリジェンス: 9・11から3・11へ (新潮文庫)

宰相のインテリジェンス: 9・11から3・11へ (新潮文庫)

 

 

米国の同時多発テロ、そこへとつながる中東戦争、そして福島原発事故といった近年の大事件を「インテリジェンス」という切り口で改めてなぞる本書、ノンフィクションながら物語の形式をとっているので一気に読めた。

前半は米国ブッシュ政権下のインテリジェンスコミュニティが如何に情報の中立性を失い、恣意的な報告で米国を戦争に駆り立てたか、ということが描かれているが、後半の日本批判では、それ以前の問題として、インテリジェンスの欠如、ひいては「意思決定機能の退行」を徹底的に批判している。さらっと読めば控えめな筆致だが、実名を挙げての淡々とした批判は逆に痛烈。

執筆のタイミング的にオバマ大統領や安倍首相の実務に対する検証が不足なのは致し方ないとして、今時点の手嶋氏の評価はどうなのだろうか? 非常に興味が惹かれる。

私なりにまとめれば、インテリジェンス(意思決定に有用な情報そのものと、それを収集分析する仕組みや人員、さらに不足したピースをどのように補完するかの知恵・・・と理解している)後進国の日本が組織や法整備を進めるのは大事な事だと思うが、本書のメッセージは「意思決定の重要性と責任に対して真摯なリーダーのところにしか情報は集まらない」というものだった。

・情報は組織下位層に「出せ」と命じて出てくるものではない
・リーダーが「胸の内」(欲しい情報)を悟られた時点で、上位には歪曲された情報しか上がってこない
・非公式でダイレクトな現場とのコンタクトが無ければ意思決定者は手持ちのインテリジェンスの精度を担保できない

望ましいインテリジェンスを体現していた人物としてチャーチル元イギリス首相の記述が短いながらも痛快な描写で紹介されていたのがとても印象深かった。

 

ちなみに映画『フェア・ゲーム』や『ゼロ・ダーク・サーティー』、『ハート・ロッカー』を観た事がある方にはめちゃくちゃ臨場感のある本。

 

フェア・ゲーム [DVD]

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ゼロ・ダーク・サーティ スペシャル・プライス [DVD]

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ハート・ロッカー [DVD]

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ジャーヘッド [DVD]

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大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)

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失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

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情報と国家―収集・分析・評価の落とし穴 (講談社現代新書)

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